越後米沢街道・十三峠交流会 本文へジャンプ
 ―― 十三峠の変遷

 置賜と越後を結ぶ道は、長い間に幾度かの変遷を続けてきた。越後米沢街道は、山形県米沢市の大町と新潟県関川村を結ぶ長約70kmの街道である。別名「十三峠」とも呼ばれており、山形県川西町小松と新潟県関川村下川口の全長約60kmの間には大小13の峠が存在する。

 この峠道は、大永元年(1521年)に伊達14代の稙宗(たねむね)が、大里峠を開いたのが始まりである。それ以前は、田代峠という標高700mを越えるルートであったが、大里峠が開削され、標高487mの山形・新潟の県境を越えるルートとなった。
 その後、順次東側のルートが整備され江戸時代の初めには十三峠が成立したといわれている。上杉藩により、宿駅・伝馬制度が整うと、ますます街道の重要度が高まり、最上川舟運と併せ、置賜の経済活動を支えるようになり、長期間にわたって置賜と越後を結ぶ幹線道として重要な役割を果たした。
 度々十三峠の改修工事が行われ、幾つかの峠に今もる敷石は、荷遅れを出さないために行われた道普請によるもので、古の道として往時の面影を残す峠が多い。
 この峠道は戊辰戦争の舞台となり、伊達政宗や五郎八姫、良寛なども通ったといわれる、正に歴史の道である。また、「日本奥地紀行」(平凡社)で知られるイギリスの女性旅行家イザベラ・バードが難儀して旅をした行程のひとつでもある。
 
明治17(1884)年に、山形県の初代県令である三島通庸により、新道が開通し十三峠の役目は終わる。
 平成8年には文化庁選定の「歴史の道百選」に選ばれ、平成20年には「日本風景街道」に登録された。

 現在、各峠で組織をつくり、この古道の維持管理やイベントを行うなど、地域おこし活動に結び付けている。


※ 十三峠に関わるデータは下記の事業で纏めたダイジェスト版です。
平成23年度 重点分野雇用創出事業  「歴史街道・十三峠観光資源活用事業」
               
                     置賜総合支庁建設部



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