越後米沢街道・十三峠交流会

■市野々

以下、十三峠に関係するバードの記述を記載しますが、時間軸が前後しますので上のタイトルと一致しない部分があります。

7月12日 市野々

↑バードが泊まったといわれる岩船屋。


  
 『不吉そうな農家しか泊まれるところはなかったのですが、』
 往時の市野々は宿場であり宿は多くあったはずである。多分暗くなってからの到着であり、他の宿が満杯(蚕も含め)であり一軒しかなかったとの意味でないか。

 『二室を残してあとはすべて蚕に占領されていたものの、その二室はとてもいい部屋で、ミニチュアの湖と岩山のような庭に面していました。』
 『馬も牛も手に入らないので、わたしは静かにここですごし、休息がとれるのをかなり喜んでいます。』

 バードが夜八時過ぎ市野々に着いたとして、何も書き物などをしなくとも寝るのは早くて9〜10時頃となる。しかも、市野々出発では『晴天の日朝早く(中略)市野々を発ちました。』とある。更に『夕べの半分は日本の地図があればそれを見たり、宿のあるじや駅逓職員、それに旅行者がいれば旅行者に尋ねてすごしました。』と記している。
 新潟を出てからの3日分の手紙の日付が市野々となっている。途中で時々(黒川、沼など)で執筆しながらということも考えられるが、仮に、沼から市野々間部分の執筆を市野々でしたとしても、上述のような過ごし方では難しいボリュームである。
 また、『昨夜は5人の商人が峠の頂上で激しくあえぎながら休んでいました。』これは12日の黒沢峠ことであるが、昨夜ということは13日に記述したことになるが、市野々出発では『晴天の日朝早く』と記しており、更に繭を日向で乾かしている光景も見ており、休息できるのが有難いとも記しているなど13日の朝早く出発した記述としては不自然である。
 これらのことから市野々に連泊したことも考えられるし、この先のバードの日付については明らかに矛盾している部分がある。

 バードが北日本の旅の中で用いた乗り物としては、船・舟、クルマ、馬などであるが、牛を使ったのは十三峠(明確なのは玉川から白子沢間)のみである。
 この地方の牛は小柄だが蹄が丈夫で山道を歩くのに都合がよいといわれている。

  『きのう旅した道のりは12時間かかって18マイル(約28.8q)! 市野々はほかの村と同じように養蚕を営んでいる感じのいい勤勉な村で、純白とやや緑がかった黄色のまゆがどこでもむしろに載せて日向で乾かしてあります。』
 ここでバードは『感じのいい勤勉な村』と褒め称えている。やはり連泊し疲労が回復したのか。




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