↑バードが泊まったといわれる岩船屋。
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『不吉そうな農家しか泊まれるところはなかったのですが、』
往時の市野々は宿場であり宿は多くあったはずである。多分暗くなってからの到着であり、他の宿が満杯(蚕も含め)であり一軒しかなかったとの意味でないか。
『二室を残してあとはすべて蚕に占領されていたものの、その二室はとてもいい部屋で、ミニチュアの湖と岩山のような庭に面していました。』
『馬も牛も手に入らないので、わたしは静かにここですごし、休息がとれるのをかなり喜んでいます。』
バードが夜八時過ぎ市野々に着いたとして、何も書き物などをしなくとも寝るのは早くて9〜10時頃となる。しかも、市野々出発では『晴天の日朝早く(中略)市野々を発ちました。』とある。更に『夕べの半分は日本の地図があればそれを見たり、宿のあるじや駅逓職員、それに旅行者がいれば旅行者に尋ねてすごしました。』と記している。
新潟を出てからの3日分の手紙の日付が市野々となっている。途中で時々(黒川、沼など)で執筆しながらということも考えられるが、仮に、沼から市野々間部分の執筆を市野々でしたとしても、上述のような過ごし方では難しいボリュームである。
また、『昨夜は5人の商人が峠の頂上で激しくあえぎながら休んでいました。』これは12日の黒沢峠ことであるが、昨夜ということは13日に記述したことになるが、市野々出発では『晴天の日朝早く』と記しており、更に繭を日向で乾かしている光景も見ており、休息できるのが有難いとも記しているなど13日の朝早く出発した記述としては不自然である。
これらのことから市野々に連泊したことも考えられるし、この先のバードの日付については明らかに矛盾している部分がある。 |