↑貝淵峠方面から撮影された黒沢集落入口。右に曲がると村上屋。
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『黒沢で泊まるつもりだったのですが、宿屋が一軒もなく、旅人を泊めてくれる農家はマラリアを多発しそうな池の端にあって』
〔私はそこ(黒沢)に泊まろうと思っていた。しかし宿屋はなく、しかも旅人を泊める農家は、不健康な池の端にあり〕(高梨健吉訳)
黒沢には江戸時代から保科重作(川崎屋)、保科林助(村上屋)、保科義昌(小槌屋)の3軒が宿として営業していた。
『宿屋が一軒もなく』については、黒沢は間宿であり、旅人の休息・休憩が主で一部宿泊に供することはあっても本宿のように本格的に旅人を泊める宿ではなかったものと思われる。
後述するが本宿である市野々でさえも『不吉そうな農家しか泊まれるところはなかったので』と記している。 |