『その日わたしたちはクルマで関を通り川口まで来ました。つまり何度か石にどんと当たったり、湿地の縁に出て、降りてくれと言われたり、あるいは荒川の上にある悪名高い馬道では一度に2、3マイル(約3〜5q)歩かされたりしました。荒川の上流では、車夫ふたりでかかっても一台の空のクルマを満足に押したり引いたりはできませんでした。しかもクルマ全体を持ち上げてしばらく運ばなければならないことが頻繁にあったので、川口の村に着いて車夫がもうこれ以上は走れないとわかったときは本当にうれしく思いました。』
関(下関)には豪商農である渡邊三左エ門邸などについては言及していない。ここを通る頃は雨の中で四苦八苦しての旅であり記憶に留める余裕がなかったかも知れない。
『とはいえ、馬が一頭しか調達できず、わたしは最後の旅程を滝のような雨の降るなか、防水紙の合羽というお粗末ないでたちで歩かなければなりませんでした。』
バードは川口から沼まで調達した馬に荷物を載せ、自分は雨の降る中歩いて鷹巣峠、榎峠を越えることになる。 。 |