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チャールズ・ヘンリー・ダラス Charles Henry Dallas (1841〜1894)
明治4(1871)年10月、洋学舎米沢興譲館(現在の県立米沢興譲館高校)に当地初の外国人教師として就任。
明治8(1875)年3月まで3年余り教鞭をとり、英語、仏語、数学、経済学、地理を教える傍ら、サッカーや陸上競技等も紹介した。
一方で、住民に牛肉の食べ方を広めたり、英国の風俗慣習、生活様式の数々を教えたり、米沢の町を気軽に散歩し、通りすがりの子供達に米沢弁で話しかけたりする気さくな人柄であったといわれている。
米沢の牛を「米沢牛」と命名して売り出したところ、これが評判を呼び、米沢牛の名前がたちまち全国に広まったと伝えられている。兼ねてから米沢牛の味に魅せられていたので、自分が雇っていたコック万吉を、親しくしていた女性ゆきと夫婦にし、家屋資金まで与えて牛肉屋を開かせ、店の名前を「牛万」と命名し、米沢の牛肉店の元祖ともいわれている。
このことから、C・H・ダラス氏を米沢業界では米沢牛の恩人と呼んでいる。
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