越後米沢街道・十三峠交流会 本文へジャンプ
 ―イザベラ・バード in 十三峠
 
 明治11年に大雨に降られながら十三峠を越えた、英国の女性旅行家イザベラ・バード。彼女が歩いた日と同じ日に、同じコースを歩いて、バードの気持の一端に触れてみようというイベントが、平成24年より開催されました。
 第5回の様子 (平成28年 7月11〜13日)
 ―1日目
14:35 JR米坂線下関駅にて下り列車から下車した参加者を迎え、ジャンボタクシーでスタート地点まで出発。
15:00 下川口で開会のセレモニー。準備運動の後十三峠への一歩を踏み出す。
15:36 鷹巣峠頂上。この峠は二つのピークがあり、今は2つ合わせて鷹巣峠と呼ばれる。峠を越えて、高規格道路の工事現場を見ながら、新旧道路の返還に思いをめぐらせ、榎峠までの舗装された国道を歩く。
16:18 榎峠。この辺りは戊辰戦争が行われた場所で、関川村の平田村長から逸話をお聞きし、「無名戦士の墓」の傍を通り、様々な思いを抱きながら道を急ぐ。
17:54 沼集落。イザベラ・バードが泊まったとされる片倉屋(伊藤家)を見学し、この日の我々の宿、高瀬温泉「観山荘」へ。
18:30 高瀬温泉「観山荘」にて交流会。遅れていた参加者も合流し全員集合。自己紹介のあとは持ち寄った地酒を味わいながらにぎやかに進められた。


榎峠

鷹巣峠

沼集落の片倉屋(伊藤家)

―2日目
5:30 2日目はバードも当時苦労したであろう一番ハードな行程。朝食のおにぎりを食べてこの日の行動に備え、観山荘を出発。宿のバスで大里峠の近くまで送ってもらう。
6:22 沼スキー場(清水)。準備体操の後、2日目の一歩を踏み出す。峠の登り口までは車道が3kmほど続き、歩くには苦痛である。
7:27 大里峠の登り口を出発。いよいよ大蛇伝説の大里峠の登り。
8:35 大里峠頂上。大里明神などがたつ祠がある。今回は天気が良かったものの、ガスがあり高台からの日本海は望めなかった。
9:15 小峠通過。近くに清水があり、茶屋があった場所といわれる。ガイドからブナの実のプレゼントと説明があり、昨年は豊作であったが、今年は実がついていないのを確認。昨年の実から芽が伸びているのが見られた。
10:00 玉川集落。ここから萱野峠に入る。平成19年から地元の人たちが中心になり敷石の発掘を行っており、所々に参加した人たちが記念にサインした木板が立っていた。
11:00 萱野峠頂上。頂上らしくない頂上だが、標識はしっかり立っている。
11:50 足野水到着。朴ノ木峠の登りは急遽車移動。峠頂上からわずかに敷石道が残る古道を下る。
12:30 健康の森横根にて昼食。焼きおにぎりに冷汁、旬の漬物に舌鼓。次の高鼻峠、貝渕峠を経て黒沢峠までは舗装された車道で、今回は車での移動とし、車窓から眺めるだけとした。
14:20 黒沢峠お祭広場より、バードが黒沢にとまるのをやめて暗くなってから越えたという黒沢峠を登る。昨年から始めた石段の修復作業の状態を見つつ、景観がきれいな楢の木平を通過。
15:30 黒沢峠頂上。見晴らしは良くないが記念写真をとり、市野々側へと下りはじめる。
16:10 市野々側の黒沢峠入口(ダム湖畔駐車場)。バードが泊まった市野々集落は現在ダムの中に沈んでしまっている。ここからイチョウ広場まで歩き、迎えに来ていた宿のバスに乗る。
18:30 国民宿舎「飯豊梅花皮荘」にて交流会。地元の料理「ミズのクジラ汁」「イワナの刺身」などを肴に地酒で盛り上がる。

大里峠頂上にて集合写真

黒沢峠敷石道

―3日目
8:00 梅花皮荘を出発。車移動で桜峠のつづら折りの県道を進む。
9:15 桜峠頂上付近で車を降り、この春整備した旧街道を地元の人以外では初めて歩く。下る途中、クマがつい一日ほど前に剥いだとみられる歯跡がびっしりついた杉の大木を目にし、おびえつつもクマのマネをして写真に収まる人も。
9:45 桜集落に降りてから、再び車移動にて才ノ頭峠、大久保峠を車窓から確認しながら通過し、宇津峠へ。
10:11 宇津峠入口。峠らしい峠を歩くのはこれが最後。登りは緩やかな砂利の車道が続く。
10:55 宇津峠頂上。十三峠のうちもっとも標高の高い491m。
11:25 頂上から少し下るとイザベラ・バードが米沢平野を見下ろしたという「遠望の地」がある。良寛が米沢道中の漢詩を呼んだといわれる大比戸では夏草を刈り払いながらの行進。
12:00 落合地蔵尊。宇津峠を越えたところにマイクロバスが先回りしていた。車に乗り、バードが休んだはずの昔の問屋、横山邸を車窓から眺める。
12:20 道の駅「いいで」に到着。昼食休憩を長めにとり、お土産を購入。
13:40 諏訪峠到着。現在は車道となり、数百mしか残っていない峠道を行く。ここで初めて雨に降られたが、展望台からは小松の町並みが遠望できた。
14:30 JR米坂線羽前小松駅にて修了式。主催のここ掘れ和ん話ん探検隊加藤事務局長よりお礼のあいさつがあり、お互いに3日間の労をねぎらいながら「第5回イザベラ・バード in 十三峠」の幕を閉じた。

桜峠にて、クマに樹皮をはがされたスギを発見。
真新しい傷が生々しい。

宇津峠の飯豊町側では米沢平野の景観を望むことができる。
 第4回の様子 (平成27年 7月11〜13日)
 1日目
14:45 JR米坂線下関駅に今回の参加者が全員そろった。早速、用意されたタクシーで登り口まで出発
15:00 下川口で今回の案内人(岡村俊春)の紹介、準備運動の後十三峠への一歩を踏み出す。
15:40 鷹巣峠頂上。この峠は二つのピークがあり、熊坂峠と鷹巣峠と呼ばれる。二つ合わせて「二井坂」とも言われたようだが、今は二つ合わせて「鷹巣峠」と呼ばれるらしい。
16:15 榎峠。広葉樹林の中の旧街道を進む。この辺りは戊辰戦争が行われた場所でもある。頂上付近にも土塁の跡が認められるという。
17:20 沼集落。今回のウォーキングの執着にほぼ予定通りの到着。イザベラ・バードが泊まったとされる片倉屋(伊藤家)を見学。バードの記述や記録には残っていないが、かつて、伊藤家の古老が「西洋人が泊まった」と話していることが伝わっている。
18:30 高瀬温泉「観山荘」にて交流会。はじめに「イザベラ・バードの山形路」の著者である渋谷光夫氏から越後米沢街道とイザベラ・バードにまつわるお話をいただき、参加者からの自己紹介(時間無制限)のあとは持ち寄った各地の酒を味わいながらにぎやかに進められた。

鷹巣峠
二井坂と言われたこともあったようで、バードも記述の中で「フタイ」と記している。

榎峠頂上
戊辰戦争の舞台でもあり、様々な逸話が残る。

―2日目
6:05 高瀬温泉を出発。宿で朝食のおにぎりを作ってもらい、バスで大里峠の手前にある清水の地点まで送ってもらう。峠の登り口まで車道はまだ3kmほど続くが、悪路のためここから歩くこととする。
7:05 大里峠の登り口。途中、大蛇伝説の大蛇が枕にしたといわれる「蛇枕石」等を眺める。
8:00 大里峠頂上。今日は天気が良く、日本海9が望めそうだという事で、見晴らしのよい近くの高台へ登る。遠くに日本海が見えた。
9:40 玉川集落。ここから赤いつり橋を渡って萱野峠に足を踏み入れる。
10:40 萱野峠頂上。見通しも良くない278mの頂上らしくない頂上。頂上の標識が熊にかじられて跡がくっきり。
12:25 朴ノ木峠の登りは急きょ車移動。健康の森よこねにて昼食。冷汁・缶ビール・なす漬けに舌鼓。
  次の高鼻峠、貝渕峠を経て黒沢峠までは舗装された車道で、今回は車での移動とした。
14:10 黒沢峠お祭広場より、敷石が続く黒沢峠を登る。バードは黒沢には泊まらず、暗くなってから越えたという。
15:25 黒沢峠頂上。見晴らしは良くない。昔は松の大木があったようだが、今は大きな楢の木があるのみ。
16:00 市野々側の黒沢峠入口(ダム湖畔駐車場)。ここからイチョウ広場まで歩き、迎えに来ていた宿のバスに乗る。
18:30 国民宿舎「飯豊梅花皮荘」にて交流会。時にはバードの話題に加え、「良寛」の話題にも熱が入った。

朴ノ木峠頂上から飯豊連峰が一望できた。

黒沢峠敷石道

―3日目
8:00 梅花皮荘を出発。県道が通る桜峠から才ノ頭峠をまわり、宇津峠の入り口までは車移動。大久保峠は通行ができないため車窓から確認。
9:20 宇津峠入口。この日の峠らしい峠はこの宇津峠だけ。緩やかな砂利の車道を歩き登り始める。
9:55 宇津峠頂上。小国町と飯豊町の町堺で、十三峠のうちもっとも標高の高い491m。
11:50 落合地蔵尊。宇津峠を越えたところで車に乗り、バードが休んだはずの昔の問屋、横山邸や、宿場だった松原宿を見学する。
11:40〜12:00 諏訪峠は車道が通り、街道の跡は数mしか残っていないが、最近新しく道を開いて展望台が作られた。通り抜けはできず、展望台を往復。
12:30 温泉施設「まどか」で昼食会と閉会式。参加者の皆さんからの感想をいただき、スタッフからの思いを話しながら3日間のイベントを閉じた。

宇津峠でバードが米沢平野を見下ろしたという「遠望の地」での景色を堪能し笑顔の一同。

諏訪峠の展望台からも絶景が広がる。
バードの旅路と違い好天に恵まれた3日間だった。
 第3回の様子 (平成26年 7月11〜13日)
 第3回はイベント直前に台風8号のニュースが駆け巡り、東北南部でも梅雨前線の活動が猛威を発揮した。多くの参加申し込みがあったものの、交通機関の乱れを察知してキャンセル、防災担当のためにキャンセル、自宅が被害にあってキャンセル、米坂線が不通、とスタッフもあわただしい数日間であった。
1日目
  山形・新潟県や遠くは関東からの参加者が集まり、鷹巣峠の入り口で出発式。台風と梅雨前線も影響はなく、杉林の中は先日の雨で現れてきれいになっており歩きやすい。鷹巣峠頂上を下ると土砂崩れで大きく削られている箇所もあった。
 1つ目の峠を越えると番所があった大内淵を通過する。大蛇伝説の中で「大蛇が苦しんで、尾を振った。からオヲウチフチ」と呼ばれるとか。
 榎峠は峠にしては少し急坂が多い。「ここを馬とか牛が通ったの?」と疑問がわく。雑木林が続き、気分はよい。
 この日は関川村の高瀬温泉にある温泉宿「観山荘」に宿泊、交流会。参加者の自己紹介、イザベラ・バード談議で懇親を深めた。

鷹巣峠
鷹巣温泉を開いた斎藤氏の墓がある展望台(右)からは鷹巣温泉や大内淵が直下に臨める。

榎峠登り口
国道からいきなりの急登。昔の街道は緩やかの別のルートだったらしい。

―2日目
 2日目は長丁場であることを考えて早朝の出発。朝食のおにぎりを背負い、沼で清水をくんで水筒を満タンに。
 畑鉱山跡を通過するといよいよ大里峠へ。途中で数回川を渡るが増水しており、慎重に行動する。茶屋跡、蛇骨(繊維石膏石)がとれた所、大蛇が枕にしたという蛇枕石を展望。頂上で朝食をとり、小国町側へ下るとブナの林、玉明鉱山の跡、玉川集落までひいた水路跡などがあった。
 赤い玉川大橋を渡って萱野峠に入る。この峠は敷石をが埋もれており、毎年「敷石惚れ掘れ探検隊」というイベントを行っている。参加者の氏名を記した名札が数ヶ所に見えた。
 朴ノ木峠は午前中最終の峠登りでありいつも難儀なところ。頂上から健康の森「よこね」まで車が迎えに来ていたために多くの参加者は車へ。下る道には敷石、「化け物杉」もあるため数人は歩いた。よこねにて焼きおにぎりと漬物、冷汁の昼食。
 次の峠は第1回目は全コース歩いたのだが、長距離の舗装道路となるため一部車移動とした。高鼻峠は全線舗装道路、貝渕峠は車道から眺めるだけとなった。
 黒沢峠お祭広場で、2日目最後の峠を越える力をつけるべくじっくりと休憩。3600段の石畳に足を踏み入れ、石切り場や楢の木平の景観を眺めながら登る。黒沢峠を降りると横川ダム湖畔。バードはこのダム湖に沈んだ市野々集落に泊っていた。
 今晩の宿泊地「飯豊梅花皮荘」での交流会では、小国町の「ゆるり座」の皆さんから「昔ばなし」を聞かせてもらった。

大里峠頂上にて朝食。

萱野峠頂上。標木が熊に引っかかれている



黒沢峠

―3日目
  3日目の天気は何となく怪しい雲行き。桜峠は舗装された車道であるがヘアピンカーブが続く。才ノ頭峠は僅か300m足らずの舗装、ほとんど平坦で峠とは名ばかり。大久保峠、道方はあるのだがまだ整備されず、通行ができないために、国道113からの遠望となった。
 宇津峠はいよいよ最後の大きな峠。ダラダラした砂利道は先日の大雨で水が流れていて歩きにくい。イザベラバードが置賜地方を眺めたであろうといわれる「遠望の地」などを経る。バードはこの辺で雨が上がったと記述しているが、今回はその逆に宇津峠に来て雨が降ってくることとなった。
 諏訪峠は十三峠最終の峠。道路工事のため峠道は一部しか現存していない。
 川西の土礼味庵にて昼食・閉会式を行った。ここは瞽女(ごぜ)宿としても使われた古民家を改造したもの。閉会式では「バードが取り持つ縁で、いつかまたの機会に会える」ことを確認しつつ、「第3回イザベラバード in 十三峠」は無事に終了となった。

宇津峠頂上にて。小国町と飯豊町の堺、最上川と荒川の分水嶺。
 第2回の様子 (平成25年 7月11〜13日)
1日目(下川口〜沼)
 雨は降ったりやんだりで蒸し暑い中、 「せきかわ歴史とみちの館」の渡邊館長の案内で下川口を出発した。鷹巣峠の二重坂、鷹巣温泉を開いた斎藤家の墓、かつて番所があった大内淵を通り、戊辰戦争時の犠牲者のための慰霊塔が立つ榎峠を越え、沼集落までの行程を歩いた。新潟県高瀬温泉「高橋屋観山荘」が今宵の宿。交流会の前に関川村の平田村長から挨拶と街道の歴史についての講演をしていただいた。

榎峠付近には観音様がひっそりと建つ

自慢の地酒などを持ち寄り、バードや十三峠の話題で盛り上がった高橋屋観山荘での交流会

―2日目(沼〜市野々)
 この日は28kmを越える長い道中である。イザベラ・バードは黒沢に泊まる予定だったが、泊まれなく、暗くなつた黒沢峠を越えて市野々まで行って泊まったために長い距離を歩いている。前夜のアルコールの量を加減した参加者もあると聞いた。
 時折、雨が強くなる中、墓や屋敷跡、水田跡を散見しながら畑鉱山跡へ。かつての生活跡が感じ取れる。いよいよこの辺りから大里峠の登りが始まる。峠道は一部土砂崩れしおり、雨で沢は増水していた。大理峠頂上の大明神前で宿からもらったおにぎりで朝食。日頃の行いがいいのか雨はちょうどあがった。
 良寛さんが泊ったといわれる玉泉寺の前を通り、萱野峠へ。萱野峠ではイベントで掘り起こされた石畳が時折見える。朴の木峠頂上を越えると、健康の森横根でイザベラ・バード(に扮した)、小国町観光協会の方々などが出迎えてくれた。冷汁とおにぎりで昼食。有料のビールも準備され喉を潤す。
 高鼻峠は舗装された平坦な道路で、車窓からの見学のみとした。貝渕峠は300m弱の峠だが、険しい崖の下に横川が流れており、峠と呼ぶにはふさわしい道である。黒沢峠お祭広場では地元のお母さんたちからお茶や漬物、蒸しパンでもてなされ、元気をもらってこの日最後の峠、黒沢峠へ。続く石畳に感嘆の声しきり。イチョウ広場(市野々)に到着し、距離28km超の行程を終了した。
 この日の宿は「梅花皮荘」。地元の郷土料理ミズの「くじら汁」がふるまわれた。

川霧に煙る玉川にかかる赤いつり橋が美しい。(萱野峠)

苔むした石畳に当時を偲ぶ。(黒沢峠)

イザベラ・バードを囲んで記念撮影。参加者も馬子の衣装を着て一瞬135年前にタイムスリップ。

―3日目(桜峠〜諏訪峠)
  この日は宿のバスで桜峠へ。桜峠は街道の大半が現在の県道と合致しており、車窓からの見学とした。続く才ノ頭峠は、十三峠の中でも「峠らしくない」峠。別の場所に街道があったという説もあるが、判明していない。県道・国道を走り、整備されておらず通れない大久保峠を車窓から望み、バスは宇津峠を目指す。
 宇津峠は地元飯豊町の高橋純さん(越後米沢海道・十三峠交流会会長)が合流して案内役をかってくれた。宇津峠はなだらかであるが、ダラダラと長い。宇津大明神を過ぎ、街道だった山道を下る。落合から車に分乗し、十三峠最後の諏訪峠に向かう。諏訪峠は現在の舗装道路で分断され、古道は峠頂上から川西町側に約200m程度断片的に 残っているだけである。
 土礼味庵(川西町朴沢)にて、諏訪峠古道保存会の方々と一緒に交流を兼ねて昼食を摂った。その後片倉社長からこの古民家の説明、諏訪峠存続活動等の説明を聞いた。お互いの情報や意見交換をした後、閉会行事を行い「第2回イザ ベラ・バードin十三峠」の全日程が終了した。

街道が県道とほぼ一致する桜峠の頂上

イザベラバードが「東洋のアルカディア」と賞賛したという眺望地(宇津峠)

最終目的地諏訪峠。
全員が無事に十三峠を踏破した。

土礼味庵は曲り家造りの古民家
 平成25 年7月17 日山形新聞に掲載された記事→
 第1回の様子 (平成24年 7月11〜13日)
1日目
 第1回目は、遠くは横浜や宮城・福島など県内外から24名が参加した。
  11日は午後から気温は30℃前後の無風の中、鷹巣峠・榎峠を越えた。沼集落を散策した後、「せきかわ歴史とみちの館」を見学。高瀬温泉高橋屋観山荘で、開会行事と懇親会が行われた。

「新政府軍が鉄砲を忘れ…」平田村長の説明に聞き入る参加者(榎峠)

「せきかわ歴史とみちの館」渡邊館長の十三峠についての講話(高橋屋観山荘)

―2日目
 12日は宿をマイクロバスで6時に出発し、6時20分からウォーキングを開始した。この日は十三峠の半分近くの峠を越えるハードなウォークである。 大里峠の頂上で朝食のおにぎりを食べ、雨の中を玉川へ。その後萱野峠・朴の木峠を越え「健康の森よこね」で昼食。 ここでは「小国町観光協会」と「おぐに白い森梶vの方々による ”冷汁”のサービスがあり、感謝・感激。 食後、空のペットボトルに冷汁を詰め込む参加者も。
 結構激しい雨の中高鼻峠を越え、種沢で善意の冷たいお茶の提供を受けた後、小さな貝淵峠を越え黒沢峠を目指した。良し悪しは別として、参加者はバードの気持ちが分かるような雨の中、疲れやしい舗装路を黙々と歩くのみ。 黒沢峠の入り口では温かいお茶や漬物、茹でたての新ジャガなどのサービス等があり、最後の峠越えを前に腹を満たした。
 古屋敷と頂上で小休憩、市野々側に下り、ダム湖を渡り「イチョウ広場」に着いたのは、予定時間より早い午後4時40分であった。 距離約28kmを10時間20分、歩数42,000歩と、バードが要した12時間より短い時間でハードな2日目のウォーキングが終了した。
 今晩の宿泊地「梅花皮荘」では、「おぐに相撲甚句会」のご厚意により甚句を披露していただいた。甚句の中には齋藤実行委員長が作詞した「十三峠甚句」も唄われ参加者の喝さいをあびた。

ペースメーカーがぐいぐい引っ張る、恐るべし78歳(朴ノ木峠 足野水側)

2日目最後の黒沢峠を上る参加者

―3日目
  13日は、マイクロバスで桜峠・才ノ頭峠を通り、大久保峠を国道から眺め、宇津峠の間瀬側から落合までの約5kmを歩いた。ゴール地点には昨日まで参加いただいた方から、冷たいずんだ寒天?の差し入れが。
 その後、バードの旅姿を再現するため、町職員の若いバード、本物かと思わせる馬子に来ていただき撮影会を行った。 この時の雌牛は、昨日の山形県の共進会で県チャンピオンに輝き、今月末には全国大会(長崎)に出場する名牛であり、参加者を喜ばせた。

 今回のイベントでは各方面から心温まるご支援やご協力をいただき成功裏に終わることができ、改めてこの地方の何にも勝る温かい財産を感じた。

バードと馬子の旅姿再現(宇津峠落合)

イベントのしおりと記念酒

副実行委員長である鏡正明氏(FELIX)からプレゼントされた記念Tシャツと小物入れ
平成24年7月14日山形新聞に掲載された記事→



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