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越後米沢街道・十三峠
榎峠
榎峠 (えのきとうげ)
峠のポイントガイド
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アクセスマップ
新潟県関川村沼と大内淵を結ぶ峠。
かつては峠の頂上に一里塚が建ち、榎の大木が枝を広げていた。大内淵側の入口付近には茶屋があり、旅人の憩いの場となっていたという。
戊辰戦争が始まると、この榎峠も戦乱の渦に巻き込まれることとなり、米沢藩と官軍との戦場になった。
距離は短いが古道の9割以上が残されている峠で、特に頂上から大内淵側のコースは道幅も広く、古道らしさがよく感じられる。
標高は低いがやや急坂が多く、沼側のルートは土砂崩れで道が荒れていることも多いので注意が必要。
峠のポイントガイド
地図上の数字をクリックすると場所の説明ページに飛びます。
無名戦士の墓
戊辰戦争時に榎峠で激戦を繰り広げ戦死した、米沢藩士と新発田藩士の供養塔。高さは約110cm、塔身は約44cm角である。慶応4(1868)年8月12日、榎峠に陣を張る米沢藩兵を新政府軍が攻撃した。米沢藩兵は力戦むなしく守備を破られ、戦死者12名を出して敗退した。この供養塔は、戦没者の供養のため、明治元(1868)年に蛇喰村弘長寺の第63世順誉良成和尚と集落の人々により建てられた。
如意輪観音像
頂上東側にある高さ50cm、幅30cmの観音像。大里峠頂上の地蔵堂にある観音像と姉妹であるといわれている。地元の研究者によれば、この場所に一里塚があったというが、塚が築かれていた形跡は見当たらない。この 観音像が一里塚的な役割を担っていた可能性もあると いう。
大内淵側古道
榎峠は全体として道幅も広く、当時の街道の姿をよく残している峠である。
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関川村沼側
関川村大内淵側
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